2012年08月27日

小林秀雄「無私の精神」

「無私の精神」は小林秀雄が昭和三五年(1960年)一月、「読売新聞」に発表したエッセイである。
無私の精神がよいことはわかりきったことだ。たとえば仏教でも無我を言うし、カントも道徳性の原理の中で「君の格律が普遍的な立法の原理になるように行為しなさい」とエゴイズムに基づく行為が望ましくないことを指摘している。しかし実際は、私を含めて多くの人は、人に何かを指摘された時、なんだかんだと、自分に都合のように弁解しているのではあるまいか。無私が良いことはわかっていても、これほど実践しがたい道徳もないだろう。今回、小林秀雄の「無私の精神」を読んで、「御尤も(ごもっとも)」と「御覧の通り」の二た言で答えることが実践的だ方法だなと実感した。
まずは「無私の精神」から抜粋する。
私の知人で、もう故人となったが、有能な実業家があった。非常に無口な人で、進んで意見を述べるというような事はほとんどない、議論を好まない、典型的な実行家であった。この無口な人に口癖が二つあった。一つは「御尤も(ごもっとも)」という言葉、一つは「御覧の通り」という言葉である。だれかが主張する意見には決して反対せず、みんな聞き終ると「御尤も」と言った。自分の事になると、弁解を決してしない、「御覧の通り」と言った。この口癖には、何んとも口では言えぬ感じがあり、また、或る言いようのない魅力があった。私は、彼の仕事の実際については、知るところが殆どなかったが、彼と一緒に仕事をしていた人達の間には、彼の口癖は無論よく知られていたらしく、彼の仲間の一人が、あの人の「御尤も」と「御覧の通り」には、手も足も出ない、と私に語った事がある。彼には、人を説得するのに、「御尤も」と「御覧の通り」の二た言あれば足りたわけになる。
私は、よく彼の事を思い出しては感ずるのだが、一と口に実行家と言っても、いろいろある。しかし、彼の場合の様に、傍から見ていても、それとはっきり感じられるのだが、並み外れた意識家でありながら、果敢な実行家でもある様な人、実行するとは意識を殺す事である事を、はっきり知った実行家、そういう人は、まことに稀れだし、一番魅力ある実行家と思える。考える事が不得手で、従ってきらいで、止むを得ず実行家になっている種類の人が一番多いのだが、また、そういう実行家が、如何にも実行家らしい実行家の風をしてみせるものだ。この種の退屈な人間ほど、理窟など何んの役にも立たぬ、といつも言いたがる。偶然と幸運による成果について大言壮語したがる。一般に、意識家は実行家ではないという俗見の力は、非常に根強いものだと思う。あれもこれも、心に留めて置きたい、ある場合も逆の場合も、すべての条件を考えたい、だが、実行するには、たった一つの事を選んで取り上げねばならない。
そういう悩みで精神が緊張していないような実行家には、興味が持てない。子供の無邪気とは、自ら異るからである。

実行家として成功する人は、自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られ勝ちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある。空想は孤独でも出来るが、実行は社会的なものである。有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。批評の客観性というものも、この種の無私から発するものである。批評家の知恵は、科学者のものより、はるかに実行家の、或は生活人の知恵に近い。理論の厳密より、行動の微妙を指す。

われわれは、だれかが主張する意見には決して反対せず、みんな聞き終ると「御尤も(ごもっとも)」と言い、自分の事になると、弁解を決してせず、「御覧の通り」と言うことができるだろうか。
だれかが主張する意見は、たとえ当人の私利私欲、偏見や誤解を含んでいる可能性があるにせよ、ひとつの現実に出てきた見解なのだ。無私の世界にいるのならば、まずはよく聞き「ごもっとも」と素直に受け止めるのが正しい。そして、自分の行動を評論された時も、自分が意識したようには他人は見ているわけではないから、「御覧の通り」と言って、他人の見方と自意識の偏見の差を確認した方が有効である。反論には自己都合が含まれるので、現実の判断を誤る可能性が高くなる。反論に無駄なエネルギーを使うよりも、様々に言われたことをよくよく意識し、考慮した上で判断する。そして実行する時は自意識の空想(=理想)を殺す。すなわち自己主張や弁解で作りたいあげたい空想よりも、客観的な物の動きの方が現実だと受け止める方が、正しい判断と行動ができる。

以上、私は、無私(=無我)が良いことは理屈ではわかっているつもりだったが、実際は自己主張と弁解の日々だった。まず、人の意見には「ごもっとも」、自分への評価には「御覧の通り」と心の中で確認することから始めたいと思う。

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posted by nobuoji at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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